この社会というのは奴隷を量産するための構造となっています。
勘違いしてはいけないのは奴隷といっても、きちんと休みを与え自由を与えなければすぐに反乱してしまうので、ある程度の自由は認められています。
才能がなくてもある程度は食わしてくれる、自由を捧げる代わりに安定をもたらす。
それが現代の我々労働者であります。
奴隷はある意味、何の保護もない自由にやっている弱者よりは圧倒的に有利です。
自由な強者は YouTube をやっても成功する、オンラインサロンをやっても成功するし、何を言っても努力して前に進んでいける人たちです。
しかし圧倒的多数の人はそんな努力なんかできない自分の境遇に嘆き、それを努力しない言い訳にして過ごしている人がほとんどです。
そんな奴隷達は年功序列に守られた今のお年寄りたちがいる「高級奴隷」を目指すように育てられてきました。
おそらくこの世界で最もリスクがないのが高級奴隷です。だから親たちは大手企業に入れ、安定した仕事に就け、そう言われてきました。
しかしそれは高度経済成長期という未曾有の好景気に支えられて成り立つ特殊な状況でしかありませんでした。
その魔法が解けた今、目指すべきところの高級奴隷は瞬く間に減少し、なおかつ親達ができていた普通の生活というのができなくなってしまいました。
つまり高級奴隷のパイが減少する上に、しがみついて離れない、だから若い人は全く給料が上がらない、だから結婚もできない、子供も作れない、という状況になっているのがこの現代です。
優秀な目利きのきく若者は高級奴隷を目指さず自由な世界へ飛び込み YouTube をやったり個人で活動することを選び始めています。だから会社に優秀な人がいなくなっています。
さらに問題はここからで、世界はもうこの大量の奴隷を必要としなくなってきています。法律でしっかり守られた正社員という奴隷は徐々になくなっていくことでしょう。
その先に待つのは国民全てが個人事業主、自由な世界で生きていかなくてはいけません。
しかし、自由といってもそれを謳歌できるのは一部の強い人達のみです。圧倒的多数の人は努力できないのでお金が稼げません。しかも安定もないから弱い人は自由の副作用である不安に勝てないのです。
奴隷のシステムは逆にいうとできない人にも分配するシステムなので、安心は得られ、弱者にはこれにしがみついた方が楽なのです。
その傍ら、あらゆるものが無料になり YouTube を始め、ちょっとお金を払えば Netflix で映画が見放題、本も Kindle 読み放題、まさに「豊かに貧乏」になっていく時代です。
我々はどのようにして暮らしていかなければいけないのか、おそらくこのコロナの後は本当に大変革の時代がやってくると思います。
この先は、お金を必要としない生活を目指していくことが弱者である我々の生きる道ではないでしょうか。
「好きなことをやれ」そんなことは一部の人しかできません。
そして、なぜ若い人が閉塞的なのかというと、必死になって自分たちの親ができたことをやろうとしているのにできないからです。
定年まで働いて家族を養って、家を買って、車を買って、子供が結婚して孫ができたら退職金で世界を旅して優雅に暮らす。
そんなのはもはや絵空事であるということを認識しなければいけません。その真似事をして自滅していく人たちが後を断ちません。
ただ、別に悪いことではありません。
世の中が変わっていくというだけです。逆に言うとブラック企業みたいなところでずっと働かなくてもいいし、時間にゆとりがあるけど家庭は持てない、でも楽しみは常にある。
そんな新しい生活が待っているのかもしれません。