【歎異抄に学ぶ】人間とは、かくも弱くて、恐ろしい存在なのか
人生はとにかく辛い、なぜこんなことになったのか、
常にお金は足りず、
仕事は辞めたいけど辞められない
嫌な人と顔を合わせ、めちゃくちゃなお客さんの対応
そして誰もわかってくれないこの苦労
とにかくこんなはずではなかった、という思いが逡巡しています。
これは私は「夢を持ち過ぎた副作用」と感じています。
この世界は元来辛いものです。
私たちは弱い、すぐに流され、怠惰になり、逆に努力すれば他人を見下し、人のためと言いながら自分が満たされた上で、という言葉を忘れている。
親鸞聖人もこうのべておられます。
親鸞聖人の言葉に「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、如何なる振舞(ふるまい)もすべし(歎異抄)」とあります。
"縁がくれば、どんな恐ろしい事でも、親鸞はやるであろう"との親鸞聖人の告白です。
ここで親鸞聖人の言われる「如何なる振舞」の中には、窃盗もウソも虐待もある、殺人もあれば、自殺も入ります。
縁がくればどんな恐ろしい事でもやってしまう業(カルマ)を持つ我身を知らされ、痛切な懺悔から親鸞聖人はこう述懐されたのです。
仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 YouTubeより抜粋
そうなのです。
人間というのはその時々の縁で強盗にもなれば聖人にもなるのです。
私だけは違う
これがいかに傲慢かを親鸞聖人は説教されているのです。
大事なのは弱い、ということを認識することです。
みんな弱いんです。
悪いこともするのです。しかもそれは善行のつもりで、
貴方のためだ、と言いながら相手を地獄へ突き落とす、それが人間です。
しかも本当に相手のためを想って言っているのが厄介なのです。
悪意がある方がマシです。
地獄への道は善意によって敷き詰められている
まさにこれこそがこの世界の本質です。
まずはこうであることをしっかり理解し、その上でどう生きていくか考えるのです。
最近、ドーリムハラスメント、という言葉があります。
子供たちに夢を持つことを押し付けることはハラスメントだ、というのです。
これも時代なのかな、と思います。
確かに夢を持たせることは大事ですが、でも現実それが叶わなくてそのギャップで苦しむ人が溢れかえる現代においては仕方のないことなのかもしれません。
だから仏教のような無常感、ということも子供たちに語る必要がある時代になったのかもしれませんね。
人生は無常です。