【ママ階級がやばい】女性の見栄やマウント。婚活女性が男性に年収・職業・学歴を求める理由
女性にとって「結婚」「旦那」「子供」は他の女性に対してマウンティングするカードデュエルの手札となる。
人は誰でも差別をしながら生きています。「こういう人いるよね〜」と言いながら自分もどこかでやってる、その自覚がない、だから誰も直さない。
こちらの動画、「結婚相談所の指南書」様の動画になります。
このような動画あげちゃうと独身の男性が増えてしまいます。まあいいことですが・・・・。
ママ階級、という言葉が出てきているようですが、母親に限らず、学校ではスクールカースト、既婚VS独身のマウント合戦、争いはつきません。
他人より自分の方が上であるということを確認して安心したいのです。
そのためには、マウントの手持ちカードを用意しなければいけません。ところが女性は頭がいい、仕事ができる、ということはあまりマウントの材料になりません。
まず結婚しているかどうか、婚活の掲示板などで、聞いてもいないのに自分の旦那の話をして悦に入っている人、隠しきれない惚気を含ませた愚痴でマウントして「あなたより上よ!」と独身者に対して無自覚に攻撃してきます。
アラサーアラフォーの婚活女性はこれに発狂しているのです。すでに先を越されていると言うアドバンテージがあるので、これをひっくり返し、既婚女性より強いカードを場に出したいがためにためにハイスペック男性を求めるのです。
当然そんな目的のために婚活をしているのでうまくいくわけはなく、しかも崖っぷちの現実を直視できず相手のあらを探し、男性が悪い、自分は悪くない「俺は悪くねぇ」を発動します。
こうやって今結婚していないのは私にふさわしい男性がいない、という言い訳で身を守るのです。
こうして独身女性を打ち倒した既婚女性は、まだ戦いが終わったわけではありません。既婚女性同士のマウンティング合戦に参戦することになります。
人は他人に幸せだと思ってもらうために四苦八苦する。
手持ちのカードは旦那と子供、特に旦那の年収、職業というのはとても重要です。これよって自分の地位が決まると言っても過言ではありません。
しかも専業主婦ならなおよし。
何もしないことが今の女性の理想です。子育てと家事が大変という大義名分が武器です。
ちなみに19世紀イギリス、ヴィクトリア朝の貴族の生活というのはまさに現代の女性の理想に近いです。
この時代の女性というのはどれだけいい家柄の貴族に嫁ぐか、それによって何もしないということが理想とされていました。
そして子供の教育費、どういう学校に進むか、ここも重要なマウント材料です。子供のためと言う究極のワードを隠れ蓑に必死に自分の地位を上げる努力をします。
子供がいい学校行ってくれればそれだけ自分もいい思いができます。もちろんどこに住んでいるか家の広さなども手札のカードになります。
こういうの興味ない、と言っている人はこの階級で争ってるわけじゃないということです。
パートであればその中での階級の争いになります。他の階級には手出しが出来ないから興味がないのです。
つまり旦那と結婚した時点でカーストの階級が決まり、その階級の中でさらに競争し上を目指すというゲームをしているのです。
ただこういうのは本当に虚しいとしか言えません。
自分はこう思っていないし参加していないと思ってもどっかで必ず人と区別や差別しながら生きているわけです。
本当に興味がないのであれば出家して山にこもるしかありません。
先ほどの19世紀にイギリスでは貴族の子供がひきこもりになる、家庭内暴力が横行していたなど社会現象になっていました。
全く現在と一緒です。
どんだけ地位やお金があったって、人に幸せだと思ってもらうには必要ですが、本当に幸せにはなれないのです。
幸せという言葉すら定義も曖昧で、マウント合戦に勝つことが幸せなのか、先日の飯塚幸三氏のような無様な生き様、元農水事務次官長男殺害事件といった上級国民の惨めさ極端な例ですが、ここまでではなくても似たような環境はいくらでもあるのです。
逆に結婚しなくたって幸せには生きられます。
結婚したら配偶者が浮気するかもしれない、離婚するかもしれない、子供が引きこもりになったり、どんなリスクがあるか分かりません。しかも今の時代はお給料も上がっていかない子供一人養っていく力もないという金銭的な問題もあります。
街で出会う、幸せそうな家族だって家に帰れば周囲もドン引きな問題を抱えていたりするのです。
独身で細々と生きていくことが欲から離れて心豊かに生きていく方法の一つであると私は思うのです。
人に幸せだと思ってもらうために苦労するのはあまりお勧めしません。