不平不満を言う人はなぜ不幸にならないと生きていけないのか?

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今回は、なぜ愚痴を言わずにはいられない人がいるのかについてご紹介します。

その人の人生や周囲にどのような影響を与えるのか、そしてなぜその人は自分を哀れむことを楽しんでいるだけなのか、その理由を説明します。

 

あの人がなぜ愚痴をやめられないのか、気になる方はぜひ読んでみてください。

 

1.愚痴がもたらす負のスパイラル

誰かが不満を漏らすと、それがさらなる不満につながることがよくあります。それは、不平不満が負のフィードバックループを生み出し、そこから抜け出すのが難しいからです。

 

愚痴を言えば言うほど、その人はますます不幸になります。そして、不幸になればなるほど、愚痴を言う必要性を感じるようになるのです。

 

つまり悪口や不平不満を言うために不幸を作り出しているのです。なので、絶対に不幸が必要です。

 

また、組織においては自分の立ち位置を守るために相手を下げることをします。それによって自分を守るのです。

 

しかし、これを続けるとどんどん、人はいなくなり、自分は大変になります。でも気づかない。さらなる不幸を喜び、不平不満をさらに言うのです。

 

 2.不平不満がもたらす不幸

愚痴は負のフィードバックループを生み出すだけでなく、不幸せにもつながります。なぜなら、愚痴は反芻の一種であり、ネガティブな考えや感情に集中する思考の一種だからです。

 

反芻はうつ病や不安神経症と関係がありますから、愚痴が人を不幸にするのは当然です。

 

3.愚痴がもたらす悪影響

愚痴は人を不幸にするだけでなく、他にも悪影響を及ぼすことがあります。たとえば、人間関係を悪くしたり、問題の解決策を見つけにくくしたり、ネガティブな思考に陥らせたりする可能性があります。

 

ここが問題なんです。不平不満が必要なだけなので、問題解決する気がないのです。それを解消してもまたさらに作り出すためです。

 

このタイプの人は不幸が必要なのです。

 

4.なぜ文句を言うのが好きな人がいるのでしょうか?

文句を言うのは、責任を回避するためです。もし不幸なら、それは自分のせいではありません。

 

それは、状況や周囲の人々のせいなのです。また、愚痴を言うことで、自分をよく見せようとする人もいます。

 

自分の人生がいかにひどいものであるか、それによって自分を守っているのです。そして自分をかわいそうに思うことを楽しむ人もいます。

 

このような人を私は不幸を楽しむ人たち、と呼んでいます。

 

改善しようとして批判するのであれば全く問題ないです。しかし大半の人は本当にそれが改善されたら困るのです。

 

だからいつまでも組織がよくならない。

 

改善する気はなのに不平不満は言い続ける、これで物事が好転するわけはないです。

なぜなら

 

不幸が必要だからです。